お宮参りについて
■お宮参りとは 誕生した赤ちゃんが社会の一員として、健やかで元気に成長できる…
元和元年(一六一五)住吉大神の故実である卯年・卯月・卯日に創建。地域で「若宮」といえば、当神社のことをさしたとされています。
伝承によると、天平年間に行基が興した石蓮寺の中心地と当地は目されており、同寺は千軒の坊舎を持った荘厳・広大な寺だったと伝わります。
平清盛によって同寺は攻められ破却し、当地には厳島神社(現・水分神社)が創祀され、当神社の起源となったとされています。 創建当時、当社は現在の二~三倍の境内地を有し、総社として尊崇されました。
当地には、住吉大神の神使「うさぎ」像が残存し当時の様子が偲ばれます。
また、地域では数々の親子伝承(神功皇后と応神天皇)の寓話が語られてきました。
当神社は摂津国豊島郡の小曽根村に鎮守してきました。
小曽根村とは「小曽根村・浜村・長島村・北条村・寺内村・石蓮寺村」の6村になります。
昭和22年、小曽根村は豊中市に編入されますが、当時の当神社の住所は大阪府豊中市大字寺内です。
寺内とは、上述にある千軒の坊舎を持った荘厳・広大な「石蓮寺」の内側であることを指し、 当地はこの石蓮寺の中心地であったと場所と考えられている聖地になります。
また当神社をおおよその堺として、上寺内、下寺内と区分されていました。
石蓮寺村は「上寺内」側にあって、さらにその中で厳格に区割りされた場所を指す、特異な村であるといえます。
現在の寺内や東寺内町は、昭和50年に北大阪急行「緑地公園駅」が出来て以降に、 急速に発展して小曽根村から分離し、区分された住居表示となります。
当神社のあたりは若竹町となりました。
いずれにしても、歴史的経緯からして、 周辺地区は小曽根村に深い縁りを持つ地域であり、 当地はこうした周辺の地域や人々にとって極めて重要な場所といえ、当神社が存する理由との密接な関係があります。
うわつつのおのかみ
なかつつのおのかみ
そこつつのおのかみ
じんぐうこうごう
商売繁盛の神......
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邪気を追い払う❝桃❞
稲荷神社、八幡神社、水分神社、薬祖神社。昔水が湧き出ていた場所に、たぬき塚があります
なでうさぎを撫でて「和魂」「幸魂」を授かります
力石には手をあてて「荒魂」「奇魂」を授かります。