やり方を実行した結果が完成形だ。
やり方の出来が、完成の出来を左右する。つまり結果の根源。
完成形を否定されても、比較的冷静に受け止めることができる。
しかし、やり方を否定されてしまうと全面否定されたかのようで、負うダメージは大きい。
やり方は、氷山の一角と違って、ごまかすことのできない根源だからだ。
一部の表出部に過ぎない結果のみを取り繕う社会は軽薄であり、
この軽薄な内容に右顧左眄していては根源的な成長はない。
大事なことはやり方の方であり、
やり方へのこだわりを持ち、
やり方を鋭意向上させることにある。
向上されたやり方は、一度や二度の失敗など帳消しにして余りあるのだ。
大神様に祈るならば、結果ではなくやり方の俊秀さを乞い願うべきである。
自らの尽力・努力へのご加護を願うのが肝要だ。