ツキを呼び込む うさぎと桃の社

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ご挨拶と想い

ご挨拶と想い

宮司の表 登志夫と申します。
祖父の代から神社界にご縁をいただきました。
父の跡を受け継いで、当神社の宮司に至っています。
誠にありがたいことです。
宮司就任前は、一般社会で働いておりました。

私は、非常に器(許容量)の小さな人間のまま成長してしまい、
そのため、わからないままに多くの人達を不快にしてきたと確信しています。
ご迷惑をおかけしたり、不快にさせた方々には、深く深くお詫び申し上げる次第です。
当時、小さい器の中で、それが精一杯でした。
広くて大きく、そして深い深い世界を知ろうともせず、
ちっぽけな器(入れ物)の中で、四角四面でしか見ていないのだから致命的。身勝手でありミステイクは当然です。
こんな私に、自分の意識の有り様で、器は大きくしていけるものだと気づきが宿ります。これは、最大級の幸福事。
落胆にくれた失敗が、なんであの程度のことに絶望したのかなと、笑えるような気持ちになったことがきっかけです。

私はありがたいことに、子供時代から神様を身近に感じて生活してきました。
神様に対し、頭は自然に深々と下がって感謝する。そこに理屈はなく、神様はただ存在が大きくて偉大。
人間様だ俺様だと、自分が頂点のように振る舞う傲慢さに陥りそうになったとき、神様の偉大さに、自分がかなうはずもないではないかと、冷静になれたことで我に返ります。
神様の存在(を意識)しない社会は、傲慢な人間様の社会。一部の特権者を除いて、多くの人が不幸となる社会。

神社に入る前の一般社会で、
まるで神様のような振る舞いをする人や、神様のような技を持つ人に何度か出会いました。
これは良い経験でした。
このような人に共通するのは、器を大きくしようと努力する姿勢のあること。
常に謙虚さを保ち、高みに到達しようと尽力される精神。どんな世界や環境にあっても、神は宿るのだと感じます。
惟神(神様とともにある)の道とは、神の偉大さを知り、自らもその大きさに近づくように鍛錬を続ける道だと私は認識しています。
より良い未来に向けて、自分ができる惟神の道を探求し続け、失敗を悔やまず・恐れず実践を目指し念じます。

ここには、日々の中で生じたことや思いを、 雑記のように、独り言のように、メモとして記していきたいと考えています。