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いくつに見えているか

独り言

いくつに見えているか・イメージ

一つの対象が、いくつに見えるか・・・意識することは少ないかもしれない。
一つのように見えているが、その実、幾重もの事象や実体によって構成されていることを忘れがちだ。
単純ではないことを知って、そして注意を向けるようにしておきたい。
「たった1つの・・・」、「〇〇すぎる・・・」のような短絡表現、問題解決策にばかり気をとられてはいけない。
おおよそ物事には、複数の事由が複雑に絡み、単純化されたものは殆どない。

人ひとりというと、単位は一つとなる。
一生というと、文字通り一つの生となるが、とても一言では語り尽くせないだろう。
私が神葬祭で遷霊の意識を人に向けるとき、少なくとも五臓六腑が根底にある。
医師の目には、人ひとりは細胞レベルから見えていて、それは無数に見えてくるのかもしれない。

WBCでの日本野球の勇姿に感銘をうけた。
野球は無論一競技だ。
だが、9人で対戦し9回の攻防がある。
3つのアウトをとったり、3つのストライクを狙う。
4つ該当ゾーンを外すとファーボールになる。
野球をよく知るものならば、もっともっと深く広く、分類し分析して数多くを見るだろう。
知れば知るほど、つまるところ一つではないことを知っている。
そして、多くのことが見えている場合、その対象との関係性は深く濃いはずだ。
もっとうまくなりたいと練習・研鑽する先には、
周りからは同じように見える一球や一振りであっても、
全く違ったものが見えているのだろう。

日本の神々はGodではない。
日本の神々は八百万に存在される。
日本の人々は八百万の神々に畏敬の念を持ち、
森羅万象に精神は研ぎ澄まされてきた。
代々という幾重にも渡る祖先に感謝し、
今に育まれ研鑽されてきた。
こうした精神性の中にあって、日本の人々は、
一つの実情・実体の中に、実はそれが複雑であり複数要素で構成されていることを見抜ける素養が育まれた。
複数の構成事象が見抜けたからこそ、それらに的確な創意工夫を施し続けて、
今日の繁栄にまで連なっている。
日本に宿る尊い築き。
いとも簡単に忘れたり捨ててしまってはならない。

私たちに宿る尊い築きを忘れず、尽力を続けることをやめなければ、
時として複雑であり、幾重にも重なり、絡まったものであっても、
まるで一つの実体であるかのように自然な姿として見せてしまえる力・・・逆業が生まれてくる。
逆業は諸問題を解決し、新たな価値を生み、神の御業の如き力に通底し未来を開いていくはずだ。