ツキを呼び込むうさぎと桃の社

ゼロの世界を備える

独り言

はじまりの数字を尋ねられると、なんと答えるだろうか。
一二三・・・の一とすんなり答える人も多いだろう。
しかし、一というのは、スタート地よりも「一」進んだ地点であるはずで、
はじまりはスタート地点となるゼロとした方が自然なはずだ。

現代における、ゼロの印象は、必ずしも良くない場合が多い。
ゼロ=無価値の解釈から生じている。
ゼロを無価値としてネガティブにとらえるがあまり、
ゼロを忘れようとし、ゼロを見ないようにしてはいないだろうか。
ゼロの存在は大原則であり、人力でなくすことはできない。
ゼロを無視した人の世は、基軸がなく果てしなく歪む。

ゼロから「一」進んだ地点はどんな地点なのか。
そこはすでに、激しい比較と競争の渦中にある。
「一」軒の家にも大小様々なあって羨み、
「一」台の車に価格の高低があって羨む。
同じ「一」歩のはずでも、足の長さが違えば当然進む距離も大小生じる。
ゼロにあるのは、どの人にも公平にゼロなことだ。この公平さこそ重要なゼロの価値。
「一」の場所はすでに、公平はなく競争関係が生じた緊張感のある場所。
戻る場所がここ「一」にしかないとすれば、それは悲劇だろう。
この関係がわかると、ゼロ地のあることの安心感から心境には余裕が生じる。
「一から出直す」のではなく、「ゼロから出発」したら良いのである。
もともとは皆ゼロだった。最初から一にいたわけではないのだから。

ゼロ系とは初代新幹線のこと。
世界で初めて時速200kmを超えた営業運転を成し遂げた。
日本が世界でひときわ輝きを見せる時代のことだ。
1系がはじまりではなく、0系。
以前の輝きがない低迷の長い日本は、0を忘れた、あるいは許容しない社会の弊害ではないのかと思えてしまう。
ゼロを肯定し、その場所をわきまえる。ゼロの大原則をすべての人に伝えたい。
心身とも一の場所で疲弊し、立ち往生しないように気をつけたいものである。

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