住吉三神のご宣託をうけた神功皇后は三韓征伐に向かいます。 結果、敵は恐れをなして戦わずして降伏。
住吉三神のご宣託を素直に受け入れ開運した神功皇后様は、この上ない完勝を得ます。
また、立身出世の象徴「平清盛」ゆかりの厳島神社が当社の起源です。
当神社の創建は、天下分け目の戦火、幾多の困難を完全にはねのけなし得ました。
当神社には強い開運と武運が宿ります
三韓征伐に向かう神功皇后様は、お腹に応神天皇を宿していました。
戦いに完勝し、お戻りになった神功皇后は、無事ご出産なさいます。
こうしたことから、神功皇后様は安産の象徴となります。
また、住吉の神の使いであるうさぎは多くの子供を出産。
当神社は神功皇后も応神天皇もお祀りする神社。
安産の加護と親子の結びを得るお社です。
若宮さんと地域で親しまれた当神社。
若宮には大事な御子をさす言葉の意味があります。
古老は今も、当神社には子供の神様がいらっしゃるのだと申されます。
御正殿には、他にはない親子の狛犬が佇む珍しい光景が。
母神・神功皇后と子神・応神天皇は隣に並んでお祀りされており、 正に、お子様との絆を育むゆかりを得るお社なのです。
なでうさぎ なでうさぎは撫でて「和御魂」「幸御魂」を授かります
住吉の神様は海の神様です。
海の航行は常に身の危険を伴いました。
こうしたことから、古来より人々は海の神様に交通の安全を祈りました。
現代の私たちも、車やバイクの走行、また旅行に用いる交通機関において、 安全であるご加護を願う気持ちに変わりません。
安全に移動し無事に帰る、 とても基本的にとても大事なおかげは、住吉の神様から授かれます。
力石 力石にはしばらく手をあてて「荒御魂」「奇御魂」授かります
黄泉の国(死者の国)から戻られたイザナギノミコトは澄んだ海水(すみのえの海)で穢れを清めます。
住吉の神様はこのお清めの折にお生まれになりました。
こうした清々しい状態からお出ましになった住吉の神様は、 神道で最も大事な儀礼といえる「お祓い」「お清め」を司る特別な神様なのです。
※住吉を訓読みし住み吉(よ)いの縁起からで、建築の祭典にも好まれます。
当神社は、底筒男神、中筒男神、表筒男神の住吉三神と、神功皇后をご本殿にお祀りしています。 四柱の神様は、住吉大神と称されます。
神代の昔、伊邪那岐神(いざなぎのみこと)が、 伊邪那美神(いざなみのみこと)がお亡くなりになったのを嘆き、 黄泉の国(死者の国)まで追っていかれました。
この際に、伊邪那岐神は死者の国の穢れを受けてしまわれます。 この穢れを祓い清めるために、伊邪那岐神は海に入って禊をされました。
この禊のときに、住吉三神はお生まれになられます。
こうした清めの禊からお生まれになった住吉の神様は、 各々の神社にあっても最も重要な、 お祓いを司る神様と崇拝されています。
神功皇后は、第14代中哀天皇の皇后様です。
中哀天皇とともに、熊襲征伐の折に住吉三神からご神託をお受けになりました。 住吉三神のご神託・教えを守った皇后様は、住吉三神を守り神にし、 自ら軍を率いて新羅への征伐に赴かれました。
このとき皇后様は第15代応神天皇を身ごもられていましが 「吾和魂は玉身の寿命を守り荒魂は軍船を導かん」とした住吉三神の御加護を受け、 和魂は応神天皇を宿した皇后の御身を守り、荒魂は皇后軍を導きました。
新羅王は恐れをなして抵抗せず、朝貢を誓って服従します。
住吉大神は、偉大なる武勇のご神徳を有され、 さらに神功皇后は帰国後無事に応神天皇を御出産されたことから、 大いなる安産の御神徳をお持ちであります。
この遠征の後、神功皇后は住吉三神の御神託を受けて、 摂津の地に住吉大神を創祀されました。
この創祀は卯年・卯月・卯日になされ、 当神社の創祀もこの故実を継承しています。